「ジャンヌ・ダルクの死」といちご狩り


その旬の時に生涯を閉じる、はかないこと(もの)のたとえ

岩波ジュニア新書カレンダー世界史(柴田三千雄編著)にはこうある。
 5月30日、まだ19歳になるかどうかという、うら若い健康的な少女が、不運に も捕らえられて、ルーアンの町の広場で火刑にあっていた。ただの村娘にしか見えぬ ジャンヌ・ダルクは死が迫っても神の声を信じていた。「フランスを救え」  異端、魔女と書いた札がかけられ、敵意ある市民の目に、白い肌をさらしながら、 いくどもイエスの名を叫んだと伝えられる。

 ジャンヌ・ダルクは「フランスの愛国少女」「オルレアンの乙女」と呼ばれ、悲し くも美しい(?)最期を遂げる悲劇のヒロインである。フランスでは5月の第2日曜 日をジャンヌ・ダルクの日とし、国祭日のひとつである。街角や教会のいたるところ に彼女の彫像が立っているそうだ。判官贔屓の日本人にとってもフランス人に比べて も劣らないほどの「ときめき」や「共感」を感じさせる。特に最後の場面などを知る と、もう涙が・・・「私もジャンヌ・ダルクのように…」と、思い立って外国語の勉 強を始めてしまったりする人まで出る始末。
 いちごはというと、「女峰」あり「栃乙女」ありと、これまた神聖なものを感じさ せる名前がズラリ。赤く色づいたいちごを摘み取り、そのまま口に放り込む。我が同 僚が行ったときにはまだ青かった小松原レジャー農園のいちご、2日後には赤く色づ き、まさに今が旬、ひも探のメンバーの魔の口が襲いかかった。桜の花を国花とする 日本人にとっては、もうジャンヌ・ダルクに負けぬ切なさを感じさせる。

しかし調べて驚いた。ジャンヌ・ダルクの死は火刑によるものだ。15世紀のヨーロッ パで火刑に処されるということは、ジャンヌ・ダルクは魔女であったということだ。 ジャンヌ・ダルクは魔女狩りにあったんだ。魔女狩りといちご狩り、これはこれは何 という共通点。ジャンヌ・ダルクも当時の貴族達の餌食になったということか。そう いえばぶどう狩りに紅葉狩り、貴族の楽しみはみんな旬をねらってのことだ。「ジャ ンヌ・ダルクの死とぶどう狩り」これでも意味は同じじゃないかあ。いやいやそうで はない。ぶどうの名前ときたら「巨峰」だったり「甲斐路」だったり、あまり高貴な 感じがしない。やっぱり、ここは「ジャンヌ・ダルクの死といちご狩り」でなくては いけないのだ。
 最近12個入り6000円もする愛ベリーという大粒のいちごもあるそうな。好き な人がいるなら、2人で食べてみるべきだ。実らぬ恋も実ってしまうかもしれない、 なんてやっぱりぶどうにはできない芸当だ。

 今回、市井の歴史研究家が42年間温めに温めてきた「ジャンヌ・ダルクの死とい ちご狩り」が陽の目をみることとなった。嬉しいことこの上ない。今回の発表に際し、 休日返上でいちご狩りに参加して下さったひも探のメンバーに紙上を借りてお礼を述 べたい。また、発表の機会を作って下さった日刊いちご狩りニュース編集部のみなさ んにSpecial Thanks.

平成13年2月吉日
糟谷淳(歴史研究家 伊奈町在住)